友人と、地元有名企業を脱サラした友人の父との議論

僕の友人であるK君の両親が何やら浜松を盛り上げたいらしいということで、今日お会いする機会を設けて頂いた。
K君の父Kさんは某地元有名企業でプロダクトデザインを担当していたのだが、リーマンショック前の絶妙のタイミングで退社後一年間浜松の実情を自分の脚で調べ尽くしたとのことである。
氏が回ったのは、地元の商工会議所や町工場、林業事業所など地域に密着した主体ばかりで、自分の見地で確かめたことを僕らに啓蒙してくれた。脱サラを軽々とした後ということも含めてそのフットワークと軽快な話術に驚嘆した。

氏によれば、
・浜松はもともとポテンシャルが高い、地理的にも人的にも。もともともの作りの街だから素材はある。問題は下請け体質によって中小企業が主体的にモノを生産し、売るという行為をしないこと。
・だからちょっとしたアイデアを知らせ、モチベを上げ、全体の方向性を方向付けるプロデューサーがいれば良い。ex.商工会
・浜松のメンタリティとして最初に手を挙げる人がいないことがある。手を挙げたらみんなついてくることは明白。
・全国で問題視されている様々な地方都市の実情の幕の内弁当状態の浜松で成功すれば、日本のモデルになる。
林業の問題は根深い。米と同じでいきなり輸入やめますとは言えない。
・市長がスズキヤストモ、知事はカワカツヘイタと行動力が割と期待できる。
・静文藝は今後優秀な人材を求めだす
・最終的には経済の活性化が必要
アクトタワーの失敗による大衆の箱モノへの不信感はすさまじい
・脱却のためにはプロダクトやものづくりなどを浜松圏内で受注から生産販売までを循環させることが必要で文化あるいはデザインの力を草の根的に実感させることが必要
・建築に関しては箱モノではなく地道なリノベを推奨
・最終的なアウトプットとして質の高い公共建築が受け入れられる。
・現状で街のど真ん中に美術館は無理
・松菱跡地は放置しすぎた
・行政は基本的に低リスクな方向へ動く
・市街地のど真ん中を流れる新川を暗渠化したのは痛手

個人的なアドバイスとしては、
・大きな事務所で博をつけて凱旋する事
・海外へいくのは日本で実務を学んでからいくこと
・日本は狭いんだから、住むとこなんて流動的で良い

その他具体的な事例として、
・百合の木通りでの草の根活動
・OMソーラー研究所、野沢正光氏
・SUSアルミの家山本理顕
・木下敬一郎記念館→浜松市建築士会の功績
などが挙げられる。
浜松もものすごいポテンシャルがある。僕も含めて、浜松の中にいる人はこの事実を何も知らないのではないか。自分の実感としてこのような話を聞けたのは本当にためになった。どうもありがとうアギト。

浜松の現状について

僕が育った街、静岡県浜松市(旧浜北区)は温暖な気候と自然地形に恵まれた比較的住みやすい都市だと認識されている。
概ねそうだ。

僕が育ったこれまでの浜松の印象は、僕が外側の世界を知るようになってからどんどん悪くなっている。いや、別段住み心地が良くないと思った事は一度もない。ただ、浜松より楽しく住まうことができる場所は確かにたくさんあるのだということだ。池上、子安、浅草、名古屋、大阪、京都、松山、広島、熊本、フィレンツェ、ベニス、バルセロナ

中心市街地の衰退、お荷物行政施設、イオンの台頭、環状線の導入、市町村合併による政令指定都市認定、お決まりの地方郊外化の問題を抱え、それを無批判に受け入れているのが現状である。当然上記に挙げた諸問題は2000年以降の小泉改革によるものがほとんどで、僕自身の成長とリンクしている。人々のメンタリティは特に特徴もないのに何かを守ろうとしている節があり、(良い意味で言えば、あったかい)、僕は友人と「特徴のない保守は最悪だ」と揶揄している。

その中で、良いも悪いも、唯一と言っていいほど特徴的なことは、日本でも有数の製造業YAMAHA SUZUKI HONDAの企業城下町であることだ。企業の恩恵を受け、徳川の重要拠点であった浜松城下町から企業城下町へ、戦後急激な発展を果たした事は事実であり、自分もまたその恩恵を受けここまで育った。その裏側には、ブラジル人数日本一というあまり目の届かない密かなアイデンティティが着実に育っていたのである。

しかし、昨年のリーマンショックで露になったように、今や行政が企業に依存することはリスクがいささか高すぎる。大量のブラジル人派遣労働者を一斉解雇し、一時2万人いて定住化も進み始めたブラジル人の4000人は既に帰国に追いやられた。

僕は彼らが一つの希望だと考えている。

現在の彼らは、地域社会とは完全に平行してもう一つの特異な地域社会を築いている。例えば、ブラジル人学校での送迎は送迎バスが用意されており、ブラジル人の子供たちは一人も日本人と会う事なく、一日を終える事ができる。また、市内で点在するブラジル人雑貨店は、コンビニ機能の他に不動産斡旋、携帯電話取り扱い、家電製品販売、カフェスペースと複合的に機能を詰め込んでおり、そこへいけば、一通りまかなえるという位置づけにある。当然そこへは日本人は寄り付かなく、ブラジル人の憩いの場として機能している。

しかし彼らは市内に点在している。例えば100人地域社会に対して3人程度の割合でアパートの一室に住んでいるため、地元住民からは顔の見えない存在している。
その平行社会がリーマンショックによって壊され、行き場を失った彼らの大半は帰国するか、1kに友人7人で住むといった究極の2択を迫られているのが現状である。地域にとっても治安が悪化する恐れがあり、ブラジル人にとってもこのまま帰国せざるを得ないのはいささか厳しい環境であることは間違いない。

幸い、浜松市の行政の彼らへの支援はサービスという面から見ると非常に充実している。役所の各部署には通訳がいるし、様々な紙面のポルトガル語訳も用意されている。

もし、ブラジル人が地域社会にコミットできる環境があるとすれば、それは強力な特徴として機能しだすと考えている。観光はもちろん、少子高齢化への地域社会としての人材底上げ、国際教育など。これを今Y-GSAで取り組んでいる山本理顕氏の地域社会圏という思想をベースに構築してけたらと考えている。地域社会圏それ自体のコンセプトに関しては後述します。

こうした現状を踏まえ、ブラジル人が点在するのではなく逆に集まって住むことにより逆説的に顔の見える存在へと転化するのではないかと考え、相互扶助関係を積極的に築くような新しい住まい方を提案したいと思っている。
単純にブラジル人がわさわさして楽しそうな建築をガチャガチャ作りたいというのももちろんある。