浜松の現状について

僕が育った街、静岡県浜松市(旧浜北区)は温暖な気候と自然地形に恵まれた比較的住みやすい都市だと認識されている。
概ねそうだ。

僕が育ったこれまでの浜松の印象は、僕が外側の世界を知るようになってからどんどん悪くなっている。いや、別段住み心地が良くないと思った事は一度もない。ただ、浜松より楽しく住まうことができる場所は確かにたくさんあるのだということだ。池上、子安、浅草、名古屋、大阪、京都、松山、広島、熊本、フィレンツェ、ベニス、バルセロナ

中心市街地の衰退、お荷物行政施設、イオンの台頭、環状線の導入、市町村合併による政令指定都市認定、お決まりの地方郊外化の問題を抱え、それを無批判に受け入れているのが現状である。当然上記に挙げた諸問題は2000年以降の小泉改革によるものがほとんどで、僕自身の成長とリンクしている。人々のメンタリティは特に特徴もないのに何かを守ろうとしている節があり、(良い意味で言えば、あったかい)、僕は友人と「特徴のない保守は最悪だ」と揶揄している。

その中で、良いも悪いも、唯一と言っていいほど特徴的なことは、日本でも有数の製造業YAMAHA SUZUKI HONDAの企業城下町であることだ。企業の恩恵を受け、徳川の重要拠点であった浜松城下町から企業城下町へ、戦後急激な発展を果たした事は事実であり、自分もまたその恩恵を受けここまで育った。その裏側には、ブラジル人数日本一というあまり目の届かない密かなアイデンティティが着実に育っていたのである。

しかし、昨年のリーマンショックで露になったように、今や行政が企業に依存することはリスクがいささか高すぎる。大量のブラジル人派遣労働者を一斉解雇し、一時2万人いて定住化も進み始めたブラジル人の4000人は既に帰国に追いやられた。

僕は彼らが一つの希望だと考えている。

現在の彼らは、地域社会とは完全に平行してもう一つの特異な地域社会を築いている。例えば、ブラジル人学校での送迎は送迎バスが用意されており、ブラジル人の子供たちは一人も日本人と会う事なく、一日を終える事ができる。また、市内で点在するブラジル人雑貨店は、コンビニ機能の他に不動産斡旋、携帯電話取り扱い、家電製品販売、カフェスペースと複合的に機能を詰め込んでおり、そこへいけば、一通りまかなえるという位置づけにある。当然そこへは日本人は寄り付かなく、ブラジル人の憩いの場として機能している。

しかし彼らは市内に点在している。例えば100人地域社会に対して3人程度の割合でアパートの一室に住んでいるため、地元住民からは顔の見えない存在している。
その平行社会がリーマンショックによって壊され、行き場を失った彼らの大半は帰国するか、1kに友人7人で住むといった究極の2択を迫られているのが現状である。地域にとっても治安が悪化する恐れがあり、ブラジル人にとってもこのまま帰国せざるを得ないのはいささか厳しい環境であることは間違いない。

幸い、浜松市の行政の彼らへの支援はサービスという面から見ると非常に充実している。役所の各部署には通訳がいるし、様々な紙面のポルトガル語訳も用意されている。

もし、ブラジル人が地域社会にコミットできる環境があるとすれば、それは強力な特徴として機能しだすと考えている。観光はもちろん、少子高齢化への地域社会としての人材底上げ、国際教育など。これを今Y-GSAで取り組んでいる山本理顕氏の地域社会圏という思想をベースに構築してけたらと考えている。地域社会圏それ自体のコンセプトに関しては後述します。

こうした現状を踏まえ、ブラジル人が点在するのではなく逆に集まって住むことにより逆説的に顔の見える存在へと転化するのではないかと考え、相互扶助関係を積極的に築くような新しい住まい方を提案したいと思っている。
単純にブラジル人がわさわさして楽しそうな建築をガチャガチャ作りたいというのももちろんある。