「浜松建築会議」開催!


年末の浜松建築関係者飲み会から立ち上がったイベントがついに日の目を迎えることとなりました。

お互い浜松出身の僕と大東さんとで3月からメールでやりとりし、企画を詰め、気鋭の若手建築家藤村龍至+山崎亮両氏を企画協力に迎え、静岡文芸大の学生たちと打ち合わせを重ね、地元の建築家と実行委員会を設立し、浜松の行政や民間のまちづくり団体、企業、商店街、文芸大教授、高校の同級生、建築家、など、本当にさまざまな主体、人間との打ち合わせをこなし、やっとここまでたどり着きました。4月から本格的に準備を進め、知り合いが一気に50人以上増えました。

イベントは
シンポジウムとワークショップで構成され、
シンポジウムは6/26(sat)、ワークショップは5/20からすでに始まっています。

浜松建築会議は継続的に展開していくことを想定しており、第一回のテーマは「社会に接続せよ」と題してぶちあげました。

シンポジウムは東京/大阪で活躍する有名な建築家と浜松/地方活動する建築家を日本の地理的な真ん中浜松に迎え、議論のプラットフォームを作ることを目的としています。

ワークショップは403 architecture+SUAC(静岡文化芸術大学志学生32人!)とのコラボレート企画です。浜松の中心市街地における空き室のリサーチと有効活用の実現を大枠としています。403のプロジェクトとしては初のリサーチプロジェクト且つ大人数での活動且つヨコハマアパートメントを飛び出してのプロジェクトとなります。

企画の詳細はホームページを参照ください。
「浜松建築会議」http://www.co-ha.net/
「みんなのにわ/represent_garden」
http://d.hatena.ne.jp/represent_garden/

本番ではより多くの方に来ていただけることを楽しみにしております。

浜松の中心市街地活性化について今思うこと

何故浜松の中心市街地が衰退しているのかというと、中心市街地には商業しかないからである。
何故中心市街地に商業しかないと衰退してしまうのかといえば、商業だけの価値観で比べたら明らかにイオンの方が便利だからである。
中心市街地が商業論理でイオンに適うはずがない。車で行けるし便利だし。イオンの存在は無視出来ない。
ということは、中心市街地をどうにかしたいと思うのであれば、商業以外の価値観を入れないといけないのである。思い切って便利さはイオンに任せよう。

ここで言う、商業以外の価値観とは何か?
それはすなわち、
生活、歴史、芸術、教育、街並み、国際性(=日系ブラジル人)、憩い
といった類のものである。
商業で破綻した今、これらの価値観を市街地に入れ込むしか選択肢はないのである。具体的には、住宅のようなもの、SOHOのようなもの、公園のようなもの、アトリエのようなもの、展示場所のようなもの、小さな図書館のようなもの、診療所のようなもの、などである。すべてに「のようなもの」がついているのは単一の主体、単一の機能だけを一つの空間にいれても単一の論理でしか回収されないからである。
ただ、今もなんとか残っているお店にはそれなりの基礎体力と創造性があるはずだから、彼らには引き続き頑張ってもらえばいい。商業がなくなったら良いといっているわけではない。

人口縮小によってこれ以上の床がもう要らない今、ひとまずストックを最大限活用し、上記要素を挿入していくことが最も現実的な解決策である。もちろん、ビルバオのグッゲンハイムのように一つの新しい建築の力で爆発させる可能性もあるが、アクトの失敗によって箱物に対する不信感が募った今は、ストック利用の方が現実的かと。建築的信頼が回復したら、その時また考えればいい。
浜松の街中には少し古い、いい感じの中層ビルがたくさんある。もはや大きなマンションや居酒屋ビルを建てても焼け石に水であるのは明白であるし、5年持てばいい方なのである。マンションが建つのは街が悪いのではなく、そこにマンションを建てて儲けようとする企業の見当が間違っている。もう方向性を考えないと建設業界は潰れますよね。

上記を進める上で最も重要なことがある。市民全員が「中心市街地は、現時点で商業的に価値がない」ということを一旦認めないといけないということである。地主も含めて。それは現状を見れば明らかである。中心市街地の空室率は目分量で5割を超えている。よって、今、そこを使ってくれる主体がいるとすれば、「使ってくれてありがとう、むしろお金あげます」くらいのスタンスでないと誰も今の廃れた中心市街地にコミットしてくれない。
ただこれは、今、の話であって、活性化が進めば商業的価値もある程度取り戻せるかもしれない(しかしあくまで目指すのは商業的な成功ではなく、文化的な成功である)。現状を認め、誰かが我慢しないと無理なのは明らかなのである。こうなってしまったんだからそれは上の既得権益世代の責任でしょう。
だから地域の行政、企業、慈善家、一般寄付など総合的な金銭の支援がまずもって必要である。短期的に見れば確実に赤字であるが、それは予算という一つの切り口でだけの判断であって、必ずしも正しくはない。じいちゃん、ばあちゃん、健康器具や高すぎる日本地図を買うくらいなら寄付を!
長期的展望と懐の深さが必要である。ここは既得権益の心意気に期待せざるを得ない。僕ら若い世代にはお金だけがないのだから。

どのような活動を入れるか、どのようなリノベーションを施すかといった方法については広くアイデアを求めればいい。行政からはアイデアは出てこないので、例えば100箇所空き室、空きビル、空き地を市が一括契約し、建築家やデザイナーにオープンコンペをかける。建築家は、特に若手は仕事に飢えているので基数は多い方が参加者も増える。建築家にはそこをどのように使うかまで提案してもらえばいい。

その際最も大事なことは各主体の連携である。

今浜松には、
行政、街中にぎわい協議会、若手個人事業主によるネットワーク、静文芸、ゆりの木、肴町、有楽街、商工会、
などという中心市街地どうにかしようという主体が存在している。しかしこの主体同士の連携は皆無である。

中心市街地を良くしたいという、目指すべき方向性は一致しているのは明らかであるからちょっとした意識改革と方向性の提示、相互ネットワークの実感があるだけで達成され得るであろう。

各主体のどっかだけ良くなるなんてことはありえない。何故なら、それは合理化されたひとり勝ち最高という商業倫理であって、専門化合理化機能主義はもう立ち行かない。のは結果として眼前にあるのだから。

以上のことは十分可能だ、と個人的には思っている。

浜松市中心市街地再生、個人的提案の数々

この3年ほど浜松に帰省する度に思っていたことを企画書の手前くらいのクオリティで勝手に提案してみます。

・虫食い駐車場を森に
市街地に急速に増える駐車場。市街地の衰退と地権者の営利目的で増殖しているが、使い方は変えるべきである。市街地に人がこなくなったら誰も使わないだろう。シェアカーやパーク&ライドを積極的に利用するべき。そしてなにより駐車場が増えた方が周りの住民が嬉しくなるような環境を作るべきである。例えば緑地率指定を設け、車は森の間を縫って駐車するというように。

アクトタワーを象徴化
なんとかしないと。アクトタワー爆破解体ショーをお祭り的にやってしまうくらいしないとだらだらとした危機感のなさからは開放されない。単純にもうあんな床いらないんだから。人口縮小社会。

・南側国際交流化
浜松駅の南側はブラジル雑貨店や多文化共生センターなどブラジル人に対してのサービス施設が比較的まとまっている。これらを利用し実利的な国際化を図るべきである。日系ブラジル人街を作ってもいい。

・新川を中心とした街作り
この際遠鉄は八幡から新浜松までの区間を廃止するべきである。韓国の清渓川のように暗渠化された新川を復活させ、高架(電車)ではなく川(人間、自然)を中心とした町づくりにシフトすべきである。

浜松城周辺、駅前、科学館、音楽館、静文芸という文化施設を環状にネットワーク
上記した新川を南北軸に据えた環状ネットワークが可能となる。もともと市街地の周囲に張り付いた施設群をネットワークさせ新川と共に街の新しい軸になり得る。

・高架下一大イオン構想
JRと新幹線が作り出す幅広い高架下は現在駐輪場に使われているが、最近遠鉄百貨店裏の高架下にビッグカメラが入り、非常に良く機能している。そもそも商業テナントはインテリアだけあればいいため、高架下であろうが更地であろうが関係なく同じものが出来上がるのである。
そうであるならこの広大な面積にイオンが出店するだけで、車に依存しない都市に開かれた新しいイオンの形が見えるはずである。

中心市街地は市が買い取り若手アーティストへ安く貸し出す
中心市街地の空室率は体感した印象だけでも2,3割はあるはず。行政の支援は必須であり、この中心市街地のポテンシャルを十分に生かせるのは静岡文化芸術大学の学生である。学生が使えるアトリエスペースや下宿などを格安で提供し、市街地には常に学生がたくさん過ごしているような状況が好ましい。単純に学生の居酒屋、飲食利用率はかなり高く、商業に潤いをもたらす存在となるであろう。

・静文芸を中心に緑地を増やす、東側は広々とした都市公園へ整備、開かれたキャンパス計画。
東街区も静岡文化芸術大学を中心に再整備すべきである。数少ない良質な建築遺産で在る大学校舎はもっと市民に開放されるべきである。

・松菱は歴史的建造物として保存→文化施設へもしくは市役所移転
鹿児島のマルヤガーデンズの例もあるが、この悪の象徴をまず商業の論理とは別の、例えば現代美術館として再整備するべきである。建築家による開かれたコンペによって良質な案を求めるべきである。大丸だの高島屋だのでは3年も持たない。複合文化施設や安易な商業施設を入れても、ザザの二の舞になる。

地方都市の成功分析、その2

ずばり、路面電車がある都市はまだやっていけてる可能性が高い。
熊本、長崎、松山、広島、高知。

それは自動車の論理に飲み込まれず、都市全体で車社会に抗った結果であり、都市に論理の複層化をもたらす重要な指標となっている。単純に路面電車がある地方都市での車の運転は怖い。

自動車の論理に飲み込まれた地方都市は路面電車を廃止している。そのつけが回ってきているのである。

地方都市の成功分析その1

自分が思う成功している地方都市の条件の一つに、鉄道駅(特にJR)と繁華街エリアが離れて(あるいは違う論理で)存在している、ということが挙げられる。
試しに金沢と松山を例にして説明しよう。
下記赤点が駅、緑枠が歴史エリア、青枠が行政文化施設エリア、橙枠が繁華街エリアである。

金沢はJRの駅から繁華街まで徒歩10-15分かかる。しかし文化施設群と繁華街、歴史地区がコンパクトにまとまっているため非常に散策しやすい。やはり21世紀美術館が行政施設群と兼六園の間に配されていることは奇跡的な英断であり、繁華街を挟んで歴史(武家屋敷側)と現代(美術館側)が向かい合う構成になっている。

続いて、松山。
松山もJR松山駅から繁華街は徒歩15分はかかる。
私鉄の松山市駅の方が繁華街に近く、松山市駅エリア、北側の行政文化施設エリア、をベースに繁華街レイヤーがまんべんなく掛かっている印象。

このように駅を中心とした町づくりではない都市の市街地が成功しているのは、駅に近いほど地価が上がるというような商業の論理に駆逐されないまま、繁華街を構成できるということに尽きる。

上記に挙げた都市以外にも、同様のことが熊本や広島、長崎でも言及可能である。

中心市街地の現状

浜松の中心市街地の衰退が叫ばれて久しいが、興味深いのは現状の文化施設との位置関係である。美術館や科学館、城公園や静岡文化芸術大学などがプロットされている。

上記の黄点が文化施設を表わしており、見事に中心市街地を囲んでいる。それを南北に突き刺すように遠鉄が走っている。(遠鉄の駅は赤点)
これは言い換えれば中心市街地から(遠鉄の駅から)はどの文化施設も徒歩10分以上かかることを示している。
この文化施設群の円環状のネットワークの利用と、中心市街地の空洞化を反転させた政策が求められる。

浜松建築関係者忘年会

某建築ポータルサイト主宰のG氏の音頭によって全国で活躍する浜松ゆかりの建築関係者が集結した。

地元静岡文化芸術大学の学生を始め、東京でアトリエ事務所に勤務している方や浜松で建築事務所を主宰している建築家、大阪で活躍している若手建築家、と多岐にわたる顔触れ。
議論の中心は浜松のポテンシャルと藤村氏。

静文藝の学生は浜松を盛り上げたいらしく、行動へ移すことが期待された。地理的な利を生かせば、若手の有名建築家はすぐに参加してくれるというアドバイスもあり、すぐにでも着火しそうな勢いである。

浜松の人材が浜松に帰ってくるという土壌を自らが作るべきだし、今後への十分な可能性をみた。明らかに優秀な人材は中央へ流出しているのだ。
今浜松にいる方には2010年仕掛けて欲しいし、自分もぜひ参加していきたい。

可能性を感じる一夜となった。